「極めたい人に贈る名作」
昔、高校生の頃読んだ小説の中で、いまだにその内容がハッキリと記憶に残っているものの一つに、中島敦の「名人伝」というのがある。
中国の故事とか人物を題材にした中島敦だが、高校の国語教科書には「山月記」が採用されているのをよく見るが、大望を抱く若者にとっては、この「名人伝」の方が適しているのではなかろうかと常々思ってきた。それで今回はその「名人伝」がたまたま手元にきたので一部割愛したけれど、ほとんど全文を載せます。
「プロの神髄」ということでしょうか。
名人伝(一部略) 中島 敦 作品集より
趙の邯鄲(かんたん)の都に住む紀昌という男が、天下第一の弓の名人になろうと志を立てた。己の師と頼むべき人物を物色するに、当今弓矢をとっては、名手・飛衛に及ぶ者があろうとは思われぬ。紀昌ははるばる飛衛をたずねてその門に入った。
飛衛は新入の門人に、先ず瞬きせざることを学べと命じた。紀昌は家に帰り、妻の機織り台の下に潜り込んで、其処に仰向けにひっくり返った。眼とすれすれにまねきが忙しく上下往来するのをじっと瞬かずに見つめていようという工夫である。来る日も来る日も彼はこの可笑しな恰好で、瞬きせざる修練を重ねる。二年の後には、遽だしく往返する牽挺(まねき)がまつげを掠めても、絶えて瞬くことがなくなった。彼は漸く機の下からはい出す。不意に火の粉が目に飛入ろうとも、彼は決して目をパチつかせない。ついに、彼の目のまつげとまつげの間に小さな一匹の蜘蛛が巣をかけるに及んで、彼は漸く自信を得て、師の飛衛にこれを告げた。
それを聞いて飛衛がいう。
「瞬かざるのみでは未だ射を授けるに足りぬ。次には、視ることを学べ。視ることに熟して、さて、小を視ること大の如く、微を見ること著の如くなったならば、来って我に告げるがよい」と。
紀昌は再び家に戻り、肌着の縫目からシラミを一匹探し出して、これを己が髪の毛を以て繋いだ。そうして、それを南向きの窓に懸け、終日睨み暮らすことにした。毎日々々彼は窓にぶら下ったシラミを見詰める。二三日たっても、依然としてシラミである。ところが、十日余り過ぎると、気のせいか、どうやらそれがほんの少しながら大きく見えて来たように思われる。三月目の終りには、明らかに蚕ほどの大きさに見えて来た。
シラミを吊るした窓の外の風物は、次第に移り変る。春の陽は何時か烈しい夏の光に変り、澄んだ秋空を高く雁が渡って行ったかと思うと、はや、寒々とした灰色の空から霙(みぞれ)が落ちかかる。紀昌は根気よく、毛髪の先にぶら下った節足動物を見続けた。何十匹となく取換えられて行く中に、早くも三年の月日が流れた。
或日ふと気が付くと、窓のシラミが馬のような大きさに見えていた。占めたと、紀昌は膝を打ち、表へ出る。彼は我が目を疑った。人は高塔であった。馬は山であった。豚は丘の如く、鶏は城楼と見える。雀躍して家にとって返した紀昌は、再び窓際のシラミに立向い、弧(ゆみ)にやがらをつがえてこれを射れば、矢は見事にシラミの心の臓を貫いて、しかもシラミを繋いだ毛さえ断(き)れぬ。
紀昌は早速師の許に赴いてこれを報ずる。飛衛は高蹈して胸を打ち、初めて「出かしたぞ」と褒めた。そうして、直ちに射術の奥儀秘伝を剰すところなく紀昌に授け始めた。
目の基礎訓練に五年もかけた甲斐があって紀昌の腕前の上達は、驚く程速い。奥儀伝授が始まってから十日の後、試みに紀昌が百歩を隔てて柳葉を射るに、既に百発百中である。二十日の後、一杯に水を湛えた盃を右肱の上に載せて剛弓を引くに、狙いに狂いの無いのは固より、杯中の水も激動だにしない。一月の後、百本の矢を以て速射を試みたところ、第一矢が的に中れば、続いて飛来った第二矢は誤たず第一矢の括(やはず)に中って突き刺さり、更に間髪を入れず第三矢の鏃(やじり)が第二矢の括にガッシと喰い込む。矢矢相属し、発発相及んで、後矢の鏃は必ず前矢の括に喰入るが故に、絶えて地に墜ちることがない。瞬く中に、百本の矢は一本の如くに相連なり、的から一直線に続いたその最後の括は猶弦を銜(ふく)むが如くに見える。傍で見ていた師の飛衛も思わず、「善し!」と言った。
最早師から学び取るべき何ものも無くなった紀昌は、或日、ふと良からぬ考えを起した。
彼がその時独りつくづくと考えるには、今や弓を以て己に敵すべき者は、師の飛衛をおいて外に無い。天下第一の名人となるためには、どうあっても飛衛を除かねばならぬと。秘かにその機会を窺っている中に、一日偶々郊野に於て、向うから唯一人歩み来る飛衛に出遭った。咄嗟に意を決した紀昌が矢を取って狙いをつければ、その気配を察して飛衛もまた弓を執って相応ずる。二人互いに射れば、矢はその度に中道にして相当り、共に地に墜ちた。
飛衛の矢が尽きた時、紀昌の方は尚一矢を余していた。得たりと勢込んで紀昌がその矢を放てば、飛衛は咄嗟に、傍なる野茨の枝を折り取り、その棘の先端を以てハッシと鏃を叩き落した。竟に非望の遂げられないことを悟った紀昌の心に、道義的慚愧の念が、この時忽焉として湧起った。飛衛の方では、又、危機を脱し得た安堵と己が技量に就いての満足とが、敵に対する憎しみをすっかり忘れさせた。
二人は互いに駈寄ると、野原の真中に相抱いて、暫し美しい師弟愛の涙にかきくれた。
彼はこの弟子に向って言った。最早、伝うべき程のことは悉(ことごと)く伝えた。なんじがもしこれ以上この道の蘊奥(うんおう)を極めたいと望むならば、ゆいて西の方大行の嶮に攀(よ)じ、霍山の頂を極めよ。そこには甘蠅老師とて古今を曠(むな)しゅうする斯道(しどう)の大家がおられる筈。老師の技に比べれば、我々の射の如きは殆ど児戯に類する。なんじの師と頼むべきは、今は甘蠅師の外にあるまいと。
紀昌は直ぐに西に向って旅立つ。その人の前に出ては我々の技の如き児戯にひとしいと言った師の言葉が、彼の自尊心にこたえた。もしそれが本当だとすれば、天下第一を目指す彼の望も、まだまだ前途程遠い訳である。己が業が児戯に類するかどうか、とにもかくにも早くその人に会って腕を比べたいとあせりつつ、彼はひたすらに道を急ぐ。一月の後に彼は漸く目指す山巓(さんてん)に辿りつく。
気負い立つ紀昌を迎えたのは、羊のような柔和な目をした、しかも酷(ひど)くよぼよぼの爺さんである。年齢は百歳をも超えていよう。腰の曲っているせいもあって、白髭は歩く時も地に曳きずっている。
柏手が聾かも知れぬと、大声に遽(あわた)だしく紀昌は来意を告げる。己が技の程を見て貰いたい旨を述べると、あせり立った彼はいきなり背に負うた弓を外して手に執った。そうして、矢をつがえると、折から空の高くを飛び過ぎて行く渡り鳥の群に向って狙いを定める。弦に応じて、一箭(いっせん)忽ち五羽の大鳥が鮮やかに碧空を切って落ちて来た。
「一通り出来るようじゃな」と、老人が穏かな微笑を含んで言う。「だが、それは所詮、射之射というもの、好漢未だ不射之射を知らぬと見える」。
ムッとした紀昌を導いて、老隠者は、其処から二百歩ばかり離れた絶壁の上まで連れて来る。脚下は文字通りの屏風の如き壁立千仭(せんじん)、遥か真下に糸のような細さに見える渓流を一寸覗いただけで忽ち眩暈(めまい)を感ずる程の高さである。その断崖から半ば宙に乗出した危石の上につかつかと老人は駈上り、振返って紀昌に言う。「どうじゃ。この石の上で先刻の業を今一度見せてくれぬか」今更引込もならぬ。老人と入代りに紀昌がその石を履んだ時、石は微かにグラリと揺らいだ。強いて気を励まして矢をつがえようとすると、ちょうど崖の端から小石が一つ転がり落ちた。その行方を目で追うた時、覚えず紀昌は石上に伏した。脚はワナワナと顫(ふる)え、汗は流れて踵(くびす)にまで至った。老人が笑いながら手を差し伸べて彼を石から下し、自ら代ってこれに乗ると、「では射というものを御目にかけようかな」と言った。まだ動悸がおさまらず蒼ざめた顔をしてはいたが、紀昌は直ぐに気が付いて言った。「しかし、弓はどうなさる? 弓は?」老人は素手だったのである。「弓?」と老人は笑う。「弓矢の要る中はまだ射之射じゃ。不射之射には、弓も矢もいらぬ」。
ちょう彼等の真上、空の極めて高い所を一羽の鳶が悠々と輪を画いていた。その胡麻粒ほどに小さく見える姿を暫く見上げていた甘蝿が、やがて、見えざる矢を無形の弓につがえ、満月の如くに引絞ってひょうと放てば、見よ、鳶は羽ばたきもせず中空から石の如くに落ちて来るではないか。
紀昌は慄然とした。今にして始めて芸道の深淵を覗き得た心地であった。
九年の間、妃昌はこの老名人の許に留まった。その問如何なる修業を積んだものやらそれは誰にも判らぬ。
九年たって山を降りて来た時、人々は紀昌の顔付の変ったのに驚いた。以前の負けず嫌いな精悍な面魂は何処かに影をひそめ、何の表情も無い、木偶(でく)の如く愚者の如き容貌に変っている。久しぶりに旧師の飛衛を訪ねた時、しかし、飛衛はこの顔付を一見すると感嘆して叫んだ。
「これでこそ初めて天下の名人だ。我儕(われら)の如き、足下にも及ぶものでない」と。
邯鄲の都は、天下一の名人となって戻って来た紀昌を迎えて、やがて眼前に示されるに違いないその妙技への期待に湧返った。
ところが紀昌は一向にその要望に応えようとしない。いや、弓さえ絶えて手に取ろうとしない。山に入る時に携えて行った弓も何処かへ棄てて来た様子である。そのわけを訊ねた一人に答えて、紀昌は懶(ものう)げに言った。
「至為(しい)は為す無く、至言は言を去り、至射は射ることなし」と。成程と、至極物分りのいい邯鄲の都人士は直ぐに合点した。弓を執らざる弓の名人は彼等の誇となった。
様々な噂が人々の口から口へと伝わる。毎夜三更を過ぎる頃、紀昌の家の屋上で何者の立てるとも知れぬ弓弦の音がする。名人の内に宿る射道の神が主人公の睡っている間に体内を脱け出し、妖魔を払うべく徹宵(てつしょう)守護に当っているのだという。
紀昌の家に忍び入ろうとしたところ、塀に足を掛けた途端に一道の殺気が森閑とした家の中から奔(はし)り出てまともに額を打ったので、覚えず外に顛落(てんらく)したと白状した盗賊もある。爾来、邪心を抱く者共は彼の住居の十町四方は避けて廻り道をし、賢い渡り鳥共は彼の家の上空を通らなくなった。
名人紀昌は次第に老いて行く。既に早く射を離れた彼の心は、益々枯淡虚静の域にはいって行ったようである。木偶の如き顔は更に表情を失い、語ることも稀となり、ついには呼吸の有無さえ疑われるに至った。「既に、我と彼との別、是と非との分を知らぬ。眼は耳の如く、耳は鼻の如く、鼻は口の如く思われる。」というのが、老名人晩年の述懐である。
甘蝿師の許を辞してから四十年の後、紀昌は静かに、誠に煙の如く静かに世を去った。その四十年の間、彼は絶えて射を口にすることが無かった。口にさえしなかった位だから、弓矢を執っての活動などあろう筈が無い。勿論、寓話作者としてはここで老名人に掉尾(とうび)の大活躍をさせて、名人の真に名人たる所以を明らかにしたいのは山々ながら、次のような妙な話の外には何一つ伝わっていない。
その話というのは、彼の死ぬ一二年前のことらしい。或日老いたる紀昌が知人の許に招かれて行ったところ、その家で一つの器具を見た。確かに見憶えのある道具だが、どうしてもその名前が思出せぬし、その用途も思い当らない。老人はその家の主人に尋ねた。それは何と呼ぶ品物で、又、何に用いるのかと。主人は、客が冗談を言っているとのみ思って、ニヤリととぼけた笑い方をした。老紀昌は真剣になって再び尋ねる。それでも相手は曖昧な笑を浮べて、客の心をはかりかねた様子である。三度紀昌が真面目な顔をして同じ問を繰返した時、始めて主人の顔に驚愕の色が現れた。彼は客の眼を凝乎(じっ)と見詰める。相手が冗談を言っているのでもなく、気が狂っているのでもなく、又自分が聞き違えをしているのでもないことを確かめると、彼は殆ど恐怖に近い狼狽を示して、吃(ども)りながら叫んだ。
「ああ、夫子(ふうし)が---古今無双の射の名人たる夫子が、弓を忘れ果てられたとや? ああ、弓という名も、その使い途も!」
その後当分の間、邯鄲の都では、画家は絵筆を隠し、楽人は瑟の絃を断ち、工匠は規矩を手にするのを恥じたということである。