ソロモンの審判
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ソロモンの審判

 今回の絵画「ソロモンの審判」は有名な古代イスラエルの名君ソロモンが2人の母親の子争いを裁く様子をえがいたものだ。どちらが真の親か?(現在ではあり得ない争点である。親子関係の判別はDNA鑑定で決着がつくからだ)。そして着目点は争う当事者よりも裁く側に向けられる。
 日本にも同じような争いの話がある。母親と子供の関係、特に親の子に対する気持ちと勝手な主張を主題にした話で、江戸時代の講談話などで「実母継母の子供争」として有名な町奉行大岡越前守による裁定だ。
 まずは日本の大岡の裁きから見てみると、彼は当事者2人の母親に子供の手を引っ張らせ、勝った方を実の親と認めようと言う。泣く子の両手をそれぞれ引っ張る2人の母親。片方の母親は引っ張る途中で苦しむ子を不憫に思い手を離してしまう。引っ張り勝った方は、これで私が子供の母親だと認めてもらえると・・・。
 ところが大岡の裁定は、手を離した方の親を真の母とした。なぜなら真の親なら泣く子の不憫さのあまり手をはなすだろう、と。でも、これってどうだろう、疑問が残る。互いに引き続けたならどういうことが起こっただろう。まあ人情話に弱い日本人には受ける話だろうけど。

 話は『旧約聖書』の「列王記・上」(3)にある。ソロモンを中央に配置しシンメトリックに当事者たちを描く。あくまでも中心はソロモンであり、ソロモンの叡智なのだ。当事者は脇役である。
 事件はというと、2人の遊女が相前後して、それぞれ男児を産んだ。ところが一方の母親は子供に覆いかぶさって寝てしまった為に男児を死なせてしまう。それで他方の生きている男児を自分の子だと言い始め争いとなり、ソロモンは裁かねばならなくなったのだった。
 ソロモン王は「剣を持ってこい」という。剣で男児を2つに裂いて、半分ずつ2人の女にわたしてやれ、という。ずいぶん考えられないような乱暴な裁定である。この絵にも今にも生きた子を引き裂こうとする剣を持った兵士と、死んだ子を抱えた女も描かれている。
 一方の女は、ぜひとも半分ずつにしてほしい、という。他方の女は、それならば生きたまま相手の女にわたしてやってほしい、という。
そこで、ソロモンは判定を下す。「この子を殺してはならない。生かしたまま他方の女に与えよ。その女がこの子の母である」と。
 これってどう解釈するか。場面構成は日本の大岡裁きと大差ない。しかし違うのはソロモンは真の親はどちらかという真実には関心はないということだ。剣で殺された子でもほしいという方と、生かしたままにしてほしいという方とでは、後者に子を渡せばいいことなのだ。合理的に裁定したのだ。
 大岡の方は真実を追求したが、ソロモンは現実問題として処理したのである。当事者以外には真実が分からない問題をどう処理するか。洋の東西を問わず、また時代を通じて存在するが、西洋人と日本人の考え方の違いの一端を見たような気がする。あなたはどう思われますか?