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「外国人による弁論大会」から

 日本に就職が決まったとき、先輩から「お土産をたくさん持っていきなさい。同僚全員に渡せるだけの数を用意したほうがいい」とアドバイスされた。ドイツにもお土産の習慣はある。しかし、会社へのお土産はワイロと考えられ、悪い印象を与える。だからアドバイスは話半分に聞いていたが、それが日本発見の糸口になった。
 第一の発見は「ロコミ」というコミュニケーションだ。職場の出張者が土産をすべての職員の机に置いていおく。これに、「〇〇さんが××に出張したお土産です」という口上書がつく。この結果、スタッフ全員が同時に仲間の出張を知ることができるというわけだ。
 第二の発見は、「外から内へ」という日本人の志向の方向性だ。土産の配り方には特徴がある。私はまず自分の机、次に隣の同僚の机へと置いていった。ところが「まず専務、次が部長。最後に外国人のあなた」と教えられた。日本の住所の書き方も、国を先に書き、県、市と内側に入る。自己紹介も会社名といった枠から名乗り、次に所属か地位を、最後に名字そして名前だ。ビジネスの話でも、私の国では重要なことから切り出すが、日本ではお天気の話からだ。
 第三の発見はマニュアル化だ。名古屋に出張するとき、「お土産なら〇〇の××のお菓子がいいわよ」と耳打ちされた。日本には何がおいしい、どこの店が一番といったマニュアルがあるそうだ。マニュアル志向は国際交流の場にも浸透している。相手国のビジネスを分析したマニュアルブックが相手の習慣を懇切丁寧に教えてくれる。お土産に対する固定観念をほんの少し動かすと、このような発見につながる。日本の皆さんも自分の固定観念を少し動かしてみたらどうか。きっと思いがけないことが見つかると思う。(ドイツ)

 数年前の冷害で、日本人は初めて外国米を食べることになった。私の故郷は中国の南方にあり、故郷ではタイ米を食べている。しかし、外米を日本人に食べさせるのは簡単ではないようだ。販売される前から、「外米はまずいし、残留農薬がすごい。ゴキブリも入っている」といわれていた。
 外国産のものを日本で売るのは大変だと思う。私が中国にいたとき、「日本人は保守的だ。日本人の店で百円で売っている物を外国人の店が九十円で売っても、売れにくい」と言われた。今年の日本の貿易黒字は次から次へと最高を記録した。日本人が外国のものに抵抗しているのだと思った。
 しかし、その一方で、日本のどこへ行っても外国料理の店がある。中華料理のマーボ豆腐もインド料理のカレーも、すっかり日本の家庭料理になっている。日本人は実は、外国の物に全面的に保守的なわけではない。ただ、日本人が自慢している国産品に対しては、相当保守的のようだ。
 ところで、中国で市場開放が始まり、日本の電気製品、映画、テレビドラマが大人気だ。中国人のアイドルだった日本人歌手が引退したときは、ショックだった。中国人は日本の文化をこんなにも受け入れている。しかし、その半面、中国では料理に関しては抵抗を示す人が多い。地元の四川省では四川料理ばかりで、広東、北京料理などはほとんど見られない。もちろん、日本の刺し身を口にすることはない。
 確かに、コメの問題から見ると日本人は大変保守的に見えるが、料理の面から見るとかなり開放的といえる。ある一点だけを取り上げ、その国の国民性を判断するのは危険だと思う。国際化が進む今の世界ではいろいろな面からお互いを理解し合うことが大切だ。(中国)

 三年前に米国の大学を卒業し、中学の英語講師として鳥取県に来た。日本は初めてで、日本語も日本の文化も分からなかったが、何とかなるだろうという気持ちだった。初日、精いっばい英語を教えようと張り切って教室に入ったが、思わぬことが起こった。さちえさんという一年生の女生徒は、私の後ろに背が二メートルもある吸血鬼が立っているといった感じの恐ろしそうな表情をしていた。
 さちえさんに「HELLO」と呼びかけたが、彼女は「ヤー」と叫んで逃げていってしまった。子供どころか、大人にも同じようなことをされたことが日本に来て何回もあった。
 ここで、人種差別という社会病について話したい。出身地のアメリカ南部は白人と黒人の差別意識が強い地方だ。両親は黒人の友達を家に招待させてくれなかった。「黒人がうちに来るのはふさわしくない」という漠然とした理由だった。言いにくいことだが、母と継父は黒人に対して醜い差別用語を使っていた。町の教育長だった継父は、学校では、差別が悪いと教えていたのだ。小学生だった私にはそういう継父が理解できなかった。
 これまで差別を受けたことは一度もなかったが、先進国の日本にきて初めて、いろんなところで差別された。例えば、電車の中で自分の周囲にだれも座ろうとしない。特別な目でじっと見つめられる。何かと特別扱いされた。
 ただ、最後に付け加えたいことがある。わたしの二十五歳の誕生日に、高校生になった、あのさちえさんが学校にやってきた。被女はそばに来て、高校生活を話してくれた。怖がることもなく、ごく普通に話してくれた。彼女が自然に私に接してくれたのは、わたしにとって最高の誕生日プレゼントだった。(アメリカ)

 日本人男性と結婚して、三年がたった。結婚後に気が付いたのは、女性にとり、日本では既婚者であることが一つのステータスということだ。結婚後、私に対する日本人の態度は独身の時とは違う。以前は仕事や趣味を話題にした。しかし、日本人と結婚していることがわかると、「どこで知り合ったか」「日本料理はできるか」という質問が多い。
 数ヵ月前、ある日本人ビジネスマンが私の名刺を見て、日本語の名字に関心を持ち、「ご主人は何の仕事をしていますか」と聞いた。結局、仕事に関する質問は一切せず、その人は私の結婚生活ばかり質問した。プライベートでは日本人の妻だが、ビジネスでは私を会社の代表として認めてほしいと思う。
 子供の話もよく人から聞かれる。ニュージーランドでも、家族の質問や子供のことを尋ねることはある。ただし、子供がいなければ、もう子供を話題にしないのが普通だ。しかし、日本では「早くほしいでしょう」「何でいないの?子供嫌いなの?」と平気で聞かれる。最初は困った。「プライベートのことを平気で聞くなんて、失礼ね」と主人に文句を言った。こういう話は子供がいない夫婦にプレッシャーである。やはり夫婦のプライバシーは守ってはしい。
 また、「ハーフの子供はかわいいでしょうね」と言われる。「ハーフ」という言葉の使い方だが、日本語では、外国人と日本人の間にできた子供という意味を示す。だが、英語は「完全でない」というニュアンスがある。
 私たちの将来の子供には、周りの子供が持っていない経験や文化を持っているからこそ、ラッキーだと考えている。わが子にはニュージーランドと日本の二つのふるさとがあるから、「ハーフ」より「ダブル」という呼び方の方がいいのではないか。(ニュージーランド)

 戦後、五十年で日本はどうして今のような経済大国になったのか。わたしはこの力の原動力は日本の集団主義的な文化の特質にあると考える。全体のために個人を犠牲にして、一つにかたまる村の力、企業の力、社会の力、国家の力、このような集団の力なのだろうと思う。
 海外で日本人観光客を見ると、旗を立てた案内人がいる団体行動が目につく。自分なりの旅を楽しむ他の国の観光客とはちょっと違う。考えてみると、個人の個性が無視される面もあるが、集団という一つの枠で行動しようする共同意識を感じる。  同僚が仕事で日本に来たことがあった。その彼がガード下を歩いていると、いきなりガードの一部が崩れた。人々が慌てていると、突然、ある人がまわりの人々に指示を出し始めた。警察や病院への連絡というふうに。その指示に従う人々。まるでまえもって約束があったかのようだった。
 同僚は感銘を受けた。私も、これは日本人の心の奥深くに秘める集団という団結力から出てくる力だと思う。こうした例は、いいところもあるが、他の国の人々からみれば否定的な面もある。今、日本は先進国の一員であることは明らかだ。だから外(世界)に目をむけて進んでいかなければならない。
 日本には世界のためにすべき任務と役割がある。世界には日本に劣る国がたくさんある。これらの国々はアジアの先頭走者である日本に学ぼうとしている。しかし、先頭に立つ日本はもっと高い目標に向けて忙しく進んでいく。自らの発展と利益のみのために。だが、だれかが進むべき方向をまとめ、導いていかなければならない。世界の先頭走者として、日本という集団のためではなく、世界という集団が行くべき道を探し、いっしょに協力して進んでいってほしいと思う。(韓国) 2000.06

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