「芥川賞って何でもあり?」

 最新の芥川賞受賞作「ハリガネムシ」を読んだ。
他の候補作を知らないので比較は出来ないけれど、内容は率直に言うなら汚い。まあ一気に読ませるだけの文章力はある。でもそれはエログロのオンパレードで読者を引っ張っているに過ぎない。終わりの方に「私は自分の欲望に飽きていた---こんな生は要らなかった」など薄っぺらな教訓らしきものがあるが、それは付け足しにすぎない。作者は暴力がテーマであると言うが、登場人物間の葛藤も深く追求せず主人公の上滑りのみ目立つこの作品。そして、このような作品を選んだ選者の感覚も疑わざるを得ない。

 しかしだ。それ以上に嫌悪感を持つのは、この作品の作者は現役教師であることである。-まあ、受賞後は退職するだろうけど-その作品内容と職業倫理に疑問を持たざるを得ない。暴力・肉欲などおよそ教師であることとそぐわない。もちろん作品と作者の職業は基本的には別であることはわかる。が、現役の教師がこのような作品を公表するとは如何なものか。
 およそ「先生の受賞作品です。読んで下さい」と生徒達の前で言えるような作品ではない。作者は教師である限り職業倫理や教育現場に与える影響も加味した作品を発表すべきで、その作品の評価もそうあってほしい。これは、社会を支える基本的暗黙の了解事項である。

 選評を見ると、石原慎太郎知事はこの作品を推す選者の一人である。彼は最近一部の小学校での過激な性教育の現状に対し、議会答弁で「どれを見てもあきれ果てる。異常な信念を持った教諭は大きな勘違いをしている」と言ったそうではないか。石原さん、どっちやねん?
直接生徒と対峙した場合の影響と小説による間接的な影響とはかくも峻別されうるものであろうか。思想・表現の自由も結構だけど、良識とか理性でもって自らの行動を処してほしいものである。

 泥棒をする警官、放火する消防士、盗撮する教師などを称して最近誰かが言ってたけれど、正に「職業に貴賎なし」ではないか。

 これでは子供の前で先生の権威はますます地に堕ちることだろう。「芥川賞」の価値も同様に。