フランシスコ・ザビエルのミイラ
みなさんご存じ、フランシスコ・ザビエル右の肖像画の人です。
彼が日本へキリスト教の布教に派遣されたことは周知です。
日本を去ってからは中国への布教を目指しますが、略年表の
通りその途中で死んでしまいます。
その遺体がミイラにされてインドのゴアに安置されていることは
ご存じですか。歴史上の人物のミイラといえば、日本でも奥州藤原氏のミイラが
有名ですが、あのザビエルのミイラとなると、そのインパクトは大きいものがあります。
ザビエルに関しては、最近キリスト教の伝道以外の戦略もあったと言われています。
真相はどうだったのでしょうか。
日本を出てからのザビエルの足跡
1552年 1月 インドのコーチン着。46才
1553年 2月 遺体はマラッカに運ばれ教会に埋葬。
1554年
3月16日 遺体はゴアに着き、埋葬された。
1541年 4月7日 リスボンを出発。35才
1542年 5月 ゴアに上陸。
1549年 8月15日 鹿児島に着く。43才
1551年 11月 日本を去る。種子島を経てインドに向かう。45才
12月 シンガポール海峡に着。インドの管区長に任命。
12月 ゴアへ向け出帆、マラッカを去る
2月 ゴアに着く。
4月 ゴアを出帆。
5月 マラッカに着く。
6月 シンガポールから中国へ向けて出帆。
8月 上川島(サンチャン)に着く。
中国本土への渡航を模索中、病に倒れる。
12月3日 死去。上川島に仮に葬られる。46才
12月 ゴアへ転送される。