ここ数ヶ月「ロト6」を買い続けている。最高賞金の1億円余りを夢見ている。この間1度だけ1000円ゲット。いつかは・・・と、期待している。継続は力なり、いや幸運なりである。
翻ってこの1億円という金額ってどういうものだろう。自民党旧派閥に渡され事件化した時の当時トップの表向き発言のように、記憶に残るか残らないか?位の価値しかないのか。小切手での提供なら“紙切れ1枚”である。そこに“0”が8つ並んでいるだけ、という感覚なのか。
現金で1億円というと100万円の束100個、横2×縦5×10段で、大きさとしては、32cm×38cm×10cm位、まあお尻が充分入るくらいのクッションを連想すればいい。しかし、重さは10.8kg(公表日銀模倣札)というから思ったより重い。
世評はどうか? 報道では日々無駄遣いだの投資だのと1億円どころか何十億円とか何百億円という数字が踊っている。もう見慣れてしまって、あっそうか、とだけで終わってしまうのが常であろう。個人的には縁遠いからか?、そのお金の価値を考えてみることはない。
しかし、それを個人的なものとして再確認させてくれた人がいる。例のホリエモン氏である。正確なことは知らないが、可処分所得である480億円について「1年間に1億円使うとして、480年ですよ」と。これにはまいった。そうか、そうなんだ。1年間に1億円使う(ちなみに大卒の生涯所得は2~3億)というのも凄いけど、更に凄いのは、480年間という期間である。
今から480年遡るというと西暦1525年となり、年表で調べてみると室町時代後期、織田信長の生誕(1534)や鉄砲伝来(1543)より前である。その時から“こつこつ”と1億円づつ使い今日に至る、といえばとてつもない金額だと思いませんか。
これからは何百億円というのを見たら、1年1億円で何百年かと考えてみよう。
そうこう考えていると、庶民レベルで換算する具体例が実際に出てきた。世界には幸運な人がいるものだ。ネット報道を引用しよう。---パリ郊外に住む失業中の移民親子が、宝くじで7589万ユーロ(約100億円)を当てた。息子は「これまでは仕事がなく、これからは働く必要がない」と涙を流して喜んだ。「法定最低賃金の62世紀分」(AFP通信)という。息子は「思わず泣いたね。この金は恵まれない人のために役立てたい。それは僕の家族と友人だよ」と語った。---だって。倍の賃金でも「31世紀分」もう何をか言んやである。
そこからみれば“ささやかな”金額の「ロト6」に夢をかけていこう。